音楽家とお金 ソプラノ歌手の悩み

 
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こんにちは。ソプラノ歌手みやこです。

今日は音楽家の生活について考えてみました。

フィリピンにいたころから、つくづく考えさせられる事があります。
それは、音楽家と、報酬、つまり、お金について。

結論から先に書くと、音楽家は、報酬をもっと得るべきだと思うのです。
もっと言うと、音楽家は、もっとお金を稼ぐ事を真剣に考えなければいけない時代だ、と最近考えるようになりました。

事の発端は、フィリピン生活において。
私は駐在員の妻としてフィリピンに渡り、夫の会社の方針で、配偶者は仕事をしてはいけない決まりでした。

必然的に、コンサートはすべてチャリティーで行いました。

それはそれで、やりたかった事だったので、良かったと思っています。
とても良い経験もし、大きな舞台も踏ませてもらいました。

でも、正直に言えば、心に少し、わだかまりを残しました。
チャリティーだからという理由で入ってくださるお客さま。
せっかく特技があるのだから惜しまずどんどん出してくださいと言われる日々・・・

自分がしっかりと報酬を得て、生活を立てられた上でのチャリティーならばいざ知らず、
自分は夫におんぶに抱っこの状態で、コンサートのために莫大な時間と労力を裂き、
プレッシャーに耐えての舞台。

それ自体はそれでもまだ良いのです。
好きでやっている事だから。楽しい面もたくさんあるし。
でも、一番良くないと思ったのは、そのプレッシャーから逃れるために、自分に言い訳してしまう事。
「お金をもらっているわけじゃないんだから・・・」

人間はとても弱い。
誰にとっても、どんなに経験があっても、何十人、何百人の前に立ち、演奏をする事はとてつもないプレッシャーです。
そして音楽家は、そのプレッシャーをはねのけるために日々努力をする。技を磨き続ける。
それでも、精神的に疲れて舞台に上れなくなる演奏家は後を絶たない。
どんなに一流といわれ、実力のある演奏家でも本番の緊張は相当なものです。

でもその極限のプレッシャーがあるからこそ、日常ではないものを生み出す。
その緊張感から、芸術は進化してゆく。
それが音楽であり、音楽家の役割であると思っています。

緊張するのが嫌、プレッシャーから逃れたいと思っていて良い音楽家にはなれない。
そのプレッシャーを乗り越えるための努力こそがすばらしい音楽を生み出す事につながってゆくわけです。
だから、言い訳する理由なんてあってはいけないのです。
ちょっとの甘さ、緩みが、緊張感に欠ける、人の心に響かない音楽を作ってしまう。。。
実に音楽とは、微妙で繊細なものだからです。

その昔音楽家は、貴族によって身分と生活を保障され、音楽だけやっていればよかった。
でも現在は、そういうわけには行かない。音楽家として独り立ちしたかったら、自分たちでお金を稼がなければいけない。

その事実を、音楽家はもっと考えなくてはいけない時代になったのだな、とつくづく思うようになりました。

なぜなら、今現在、例えば自分の子が音楽家になりたいといったら、私は間違いなく大反対します(笑)
自分の教え子が才能があって音楽家になりたいと言い出したとしても、
「悪い事は言わないから、趣味にとどめておきなさい」
と、言ってしまいそう(苦笑)

音楽をやる友人にも、
「音楽はお金にならないから」
といって、すっぱりやめ、普通に就職した力のある人がたくさんいます。
続けていたとしても、ほとんどの人が、片手間でやっている。

音楽を愛し、本気でやってきた者として、
そしてこれからもやって行こうと覚悟を決めている者として、
やっぱりすばらしい音楽を伝えるために、届け続けるために、
後進の音楽家をどんどん育てるためにも、
音楽家は「稼がないと」いけないなと、強く感じるようになりました。

それにはまず、すばらしい音楽をしないとね!
ってなっちゃうから、家で練習に勉強に明け暮れちゃって難しいけれど・・・

演奏家も、聴衆も、もっともっと本気になって、音楽をともに高めていけたら。。
なぜなら、やっぱりクラッシック音楽はただの娯楽ではなく、芸術だから。
演奏するほうも、聴くほうもその深みを知って初めて本当の楽しみが生まれると、究極には思うから。

音楽家がもっとお金を稼いで、自立して、音楽に集中できる。
そんな仕組みを作りたいと思う今日この頃のみやこです。

音楽家とお金という、繊細なお話に最後までお付き合いいただきどうもありがとうございました。